提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


ぐるり農政【54】

2011年11月21日

安全保障問題になったTPP

                              ジャーナリスト 村田 泰夫


 TPP(環太平洋経済連携協定)問題が、農業問題を超えて日本の安全保障問題に発展する様相を見せてきた。わが国の農業界にとって歓迎すべき事態なのか、それともややこしい問題に発展していくのか、現状では見極めがつかない。


 11月12日にハワイで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議から起きた一連の動きを列挙してみよう。

▼野田首相が「TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と、日本が参加を正式表明
▼カナダ、メキシコがTPPへの参加の意思を表明
▼韓国大手紙「ウサギ(韓国)が寝ている間に、カメ(日本)が動き出した」と論評
▼中国が「ASEAN(東南アジア諸国連合)+6」の自由貿易圏構想に柔軟姿勢
▼オバマ大統領が「アジア太平洋地域を米国の安全保障政策の最優先地域に位置づけ」と演説。豪州北部に米海兵隊2500人の配備計画を表明
▼中国新華社通信「米国が他国の排他的利益を侵すような『放火』や『火遊び』は地域にとってマイナス」と論評


 TPP問題は、アジア太平洋地域を舞台にした米国と中国の2大大国による経済・安全保障をめぐる主導権争いの様相を見せてきた。引き金を引いたのが、日本のTPP参加表明だった。TPPがアジア太平洋地域の小国と米国との自由貿易協定にとどまっている間は注目を浴びなかったが、経済大国である日本が加わると、アジア太平洋地域を広く包含する自由貿易構想の土台になるのではないかとの思惑が働き、TPPを見直す動きが一気に広がったのである。


 TPPは原則として関税撤廃をめざす、レベルの高い自由貿易協定である。TPPへの参加は、価格競争力の低い日本の農業界にとっては深刻な問題で、全国農協中央会などは「日本農業が壊滅的打撃を受ける」として反対運動を繰り広げてきた。農業界だけの反対では手ぬるいと判断した全中は、「日本の健康保険制度が米国の陰謀で壊される」として、日本医師会などを反対運動に引き入れたうえ、「経済面での日米同盟は中国の反感を買い、日本の安全保障にも障害となる」として、わが国の安全保障面でもTPPは得策ではない、と強調してきた。


 健康保険制度については、野田首相に「何が何でも堅持する」といなされてしまったが、安全保障問題は、全中の予想を超えるスピードで展開されることになった。日本の参加表明に刺激を受けたカナダとメキシコがすかさず参加を表明、野田首相が予想していたような「化学反応」が起きた。米国との間で2国間のFTA(自由貿易協定)を結んでいる韓国にも動揺が走った。韓米FTAで日本を出し抜いたと思っていた矢先の日本のTPP参加表明に、韓国内には「ウサギ(韓国)が寝ている間に、カメ(日本)が動き始めた」と警戒感を抱く声が一般的で、一部にはTPP参加論も出始めている。


 あわてている様子がうかがえるのが中国である。中国の胡錦濤主席はハワイのAPECの場で、「東アジアFTAやTPPなどによるアジア太平洋地域での自由貿易圏建設の推進を支持する」と「TPP支持」を表明したが、これは外交辞令。実際は身構えている。「米国は成長するアジアの経済的な果実をつかみ、日本をはじめとするアジア各国と関係を強化し、地域で台頭する中国を牽制しようとしている」(中国社会科学院アジア太平洋研究所長=11・18朝日新聞)と受けとめている。米国主導による経済面での中国包囲網がおもしろいはずはないが、中国は当面、TPPに入ることができないのがもどかしい。環境保護規定から知的財産権保護、国有企業経営の透明性など、関税以外の問題でTPPの高いハードルを超えられないからだ。


 そこへ、オバマ大統領の演説が伝えられると、中国は体をこわばらせた。演説は11月16日、オーストラリアのキャンベラでおこなわれた。アジア太平洋地域を米国の最優先地域に位置づけたうえ、豪州北部のダーウィンに、約2500人の米海兵隊を駐留させるという内容だった。TPPによる経済面での中国包囲網に加え、軍事面でも中国包囲網を敷く米国に怒ったのである。


 話を経済問題に戻そう。中国としては、米国を軸にした自由貿易圏構想ではなく、中国を軸にした自由貿易圏構想の構築を急ぐ戦術に転じた。日本のTPP交渉参加表明後、これまでは否定的であった「ASEAN+6」に中国政府が前向きな姿勢に転じた。「ASEAN+3」とはASEANに日本、中国、韓国の3カ国を加えた自由貿易圏構想で、中国政府が提唱した。これに対し、中国のプレゼンス(存在感)が大きくなることを懸念した日本が「ASEAN+6」を対抗軸として提唱した。これは+3にインド、オーストラリア、ニュージーランドの計6カ国を加えた自由貿易圏構想で、これまで中国は消極的だった。中国がASEAN+6に柔軟姿勢に転じたのは、TPPを牽制するねらいがあると見られている。



 さらに、これまで進展を見せてこなかった日本、中国、韓国の3カ国による「日中韓FTA」の交渉を来年からスタートすることにも中国政府は応じている。日中韓FTAは、2010年から産官学による共同研究が3カ年の計画で続けられてきたが、このほど1年繰り上げ、来年から交渉に入ることで合意した。これら中国の姿勢の変化は、日本のTPP参加表明がもたらした「化学反応」であることは間違いない。その意味では、日本の経済外交が久しぶりに存在感を示したといえよう。


 TPPの安全保障問題化は、TPP参加絶対反対を掲げる農業団体にとって、吉と出るか凶と出るか悩ましい。農業問題が主要な焦点なら反対運動を展開しやすいが、尖閣諸島問題やレアアース禁輸問題を連想する安全保障問題で「米国をとるか中国をとるか」問われると、つらいところがある。 (2011年11月18日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。