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ぐるり農政 【22】

2009年04月23日

奇跡は探究心が起こした

     明治大学客員教授 村田 泰夫


 「奇跡のリンゴ」(幻冬舎刊)という本が売れている。副題には「絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録」とある。青森県弘前市のリンゴ栽培農家の木村さんが、農薬や肥料なしには絶対栽培できないと思い込まれていたリンゴ栽培を「自然栽培法」で実現した物語を、ノンフィクションライターが綴った。農業関係の本がベストセラーになることは珍しいが、この本は一般読者に広く受け入れられた。

木村秋則氏
 手だれのライターによるリンゴ農家・木村さんの挑戦記は、一気に読ませるだけの迫力があった。たまたま、主人公である木村さんの講演会があるというので聞きにいった。
 原稿を用意せず、ぼくとつとした津軽弁で話す木村さんは、聴衆を魅了した。ノンフィクションライターの書き方も上手だが、その取材相手だった木村さん自身の魅力が本の中にみなぎっていたのだと、わかった。


 私は知らなかったのだが、木村さんは自然栽培法を実践している農家の間では、かなり以前から知られていた存在だった。リンゴだけではなくコメや野菜の栽培で、どうしたら自然栽培でやれるのか。全国各地を講演し、実際に指導して回っていた。「だから、講演がうまいのだ」と納得したが、講演慣れしたところがない。静かだが情熱を込めて話す姿勢が、その素晴らしい笑顔とともにチャーミングなのだ。


 本の題名に「奇跡」とあるが、リンゴ栽培で農薬や肥料を使わずに栽培することは、リンゴ農家の間では本当に奇跡であるらしい。甘くて香りのいい果物を、自然界の虫が放置しておくはずがない。虫に食われて当然である。それを実現してしまったのだから、確かに木村さんは「奇跡の人」なのである。


 なぜ、それができたのか。その奮闘記は本を読んでもらうとして、講演会で木村さんの話を聞いて、奇跡はたゆまぬ探究心と向上心が起こしたのだと知った。ただ待っていては、奇跡は起こらない。


 向上心の強い木村さんは、雨降りの日に弘前の本屋でトラクター関係の専門書を手にしようと、書棚の一番高いところにある本を棒で突いて引き出そうとして、手元がくるった。隣にあった本を、雨のしずくで濡れた床に落としてしまったのだ。それが、福岡正信さんの書いた「自然農法」だった。本を濡らしてしまったので、ついでに購入した。これが自然農法との出合いであった。


 農薬の代わりに食用の酢を使うなどさまざま試みるが、虫はリンゴの葉を食いつくし、実をつけないどころか花を咲かせることもなかった。万事休して死のうと、岩木山にロープを握って登ったとき、野生のクリの木を見て不思議に思った。肥料をやらず農薬をまかないのに、なぜ野生のクリは実をつけるのか。


 木村さんのたゆまぬ探究心の真骨頂である。土に問題があったのだ。腐葉土でできたふかふかの土に生えた自然の木は、いわば自然治癒力を備えている。だから病害虫に強いのだ。畑で栽培された果樹は土が死んでいるので治癒力に劣る。いわば不健康な木で病害虫に弱いのだ。
 ひらめいた木村さんは、死ぬのをやめた。創意工夫をこらして、今日の「奇跡」を呼び起こしたのである。(2009年04月21日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。