提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


信州発 “農”と言える日本人 【22】

2011年02月04日

フィリピン視察研修に参加した(2)

        高見澤勇太


バナウェ棚田(Banaue rice terrace)

 バナウェの棚田は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。世界最大規模の棚田で、ルソン島中部の標高1500m前後の高地にある。当日は霧が濃く、雨もしょぼつく天候の中、ジープニー2台に分乗した視察団一行は、棚田の見えるビューポイントへ向った。

 やはり視界が悪く、パンフレットで見るバナウェの棚田群は見えない。ところが10分ほど現地ガイドの説明を聞いていると、視界が開けてきた。上は棚田群の中腹まで、眼下もだんだん視界が広がった。
 標高差が100mほどある棚田を、重い荷物を担いで上り下りするイフガオ族などの原住民。ここでも高齢化が進み、美しく壮大な棚田が維持できなくなっていると聞いた。2000年も前から続くこの棚田、なんとか守り抜いてほしい。2001年には、「ユネスコ世界遺産の危機遺産」へも登録されたそうだ。


棚田の一部  
左 :棚田の一部 / 右 :棚田のあぜで記念写真


 日本の農業もすぐそこに危機が迫っている。日本の米農家、いや、日本の農業全体を自分たちの手で守っていかなければならないと感じた。

 山の斜面にある階段を下りると、カヤぶき屋根の住居が現れた。そこから300段ほどの階段を下りて、棚田の一枚へたどり着いた。あぜ道を歩き、棚田を体感した後、また階段を上り、村人のお宅を見学させてもらった。なんと、ご先祖様の遺骨が置かれていた。この地域では、親族の死者を土葬で埋葬した後、5年後に掘り出し、家の中に納骨をしている。


  


 犬・ヤギ・鶏・牛なんでも放し飼い、そして同居している。どの動物も鳴くことがなく、ゆったりとした速度で歩く。日本では考えられない。
 人間から動物まで、たぶん植物も、生き物すべてがフレンドリーなフィリピンを大好きになった。


花問屋街花問屋街

 全長100m前後の通りがすべて花問屋になっている、マニラ近郊の町である。
 フィリピンは花の消費が多い。花の産地は、今回の滞在地にもなったバギオ市が多いそうだ。やはり花も冷涼な気候を好む。
 どの店の前でも、通りにはみ出したたくさんの花たちが、通行人の目を奪う。同じ品種の花が大きく束ねられたものを、小分けにする少女。違う種類の花と合わせ、大小さまざまな花束・盛り花をアレンジする少女たち。


米農家

 つづいて米農家に向かう。途中には、マンゴー農園やサトウキビ畑が広がり、牛の放牧もされていた。ちなみに、タガログ語で牛を“バカ”と呼ぶ。「覚えやすい名前でしょ」と現地ガイドが教えてくれた。

 1年中温暖な気候のフィリピンでは、お米が年2回収穫できる。基本的には、7月田植え→→→11月稲刈り、12月田植え→→→3月稲刈りが多いということだ。
 稲刈りは籾の付く上部を刈り取る。それをすぐ脱穀する。一般公道の片側車線を利用して、籾を干していた。日本では考えられない! 自動車はそれを避けて通行する。
左 :道路にもみ殻を干す 

 年2回収穫できるお米だが、生産量が消費量に追いつかず、年間100万tがタイやベトナムなどから輸入される、と説明があった。

 フィリピンの米農家も、経費が多くかかり収入が少なく、生活が苦しいと話していた。とはいえ、訪問先の精米所オーナーは豪邸に住んでいた。

 
フィリピン共和国で感じたこと

 首都であるマニラ以外の田舎では、日本の昔を思い出すような光景を目にすることが多かった。子どもが多く、みんな外で遊んでいる。
 移動中の山岳地帯では、いたるところで崖崩れが起きていた。ある場所ではバスが通れず、1時間以上足止めをされて大渋滞になった。でもこんなことには馴れっこのせいか、現地の人々は、道路の土砂を取り除く作業を、文句ひとつ言わず黙って見守っていた。また、交通量の多い道路では、割り込みが頻繁におこる。それでも怒ったそぶりはない。
右 :土砂崩れを見る仲間


 暑さのせいだろうか、それとも国民性だろうか。人々の歩く速さはゆっくりで慌てることはない。急にカメラを向けても、嫌な顔もせず笑顔で答える。温暖な気候と温厚な性格のフィリピン人の印象が強く残った。

 前段で書いたが、吠えない犬、鳴かないニワトリ、ヤギ、ウシ。猫も。みんな放し飼いにされ、仲良く暮らしている。地球全体がこんな風になれたら、戦争も起こらないのになぁ~。


研修旅行の感想

 肥料、農薬、生産資材、大型の農業機械や最新鋭の作業機。自動車の保有台数も多く、アルバイトや研修生を頼んで、収穫量を年々アップさせていく南牧村の農業。その分、農業に投資する金額も莫大なものになる。
 一方、農業機械は皆無。肥料、農薬、生産資材を買う資金も少なく、家族労働でなんでも手作業。快適な家に住める人は、家族内で誰かが海外へ出稼ぎに行っている家庭。貧富の差が激しいフィリピンの農村。
 全く違った状況下におかれている両国の農業事情だが、どちらが「先行き不安か?」と考えると、日本ではないだろうか。


  


 失礼な言い方だが、フィリピンの農家は貧乏に慣れている。借金をするという概念もないそうだ。その日暮らしでも、たいして気にしていない感じだ。日本もそんな時代があったかもしれないが、今では贅沢な暮らしに慣れてしまい、生活レベルを下げることは耐えがたい状況にある。

 「幸せも不幸せも自分の心が決める」。今、自分を取り巻く環境に満足して多くを求めず、背伸びをせずに、この時代、この場所に生かされていることを感謝しよう。と思うのだった。後はこの気持ちを家族と共有することだが・・・それが一番の難題である。

 

たかみざわ ゆうた

1964年長野県生まれ 北佐久農業高校卒業後、すぐに家業である農家の後を継ぐ。長野県農業士協会会長(07・08年)、野菜ソムリエながの代表(08・09年) 、南牧村議会議員(07年~11年)。座右の銘は「ゆるく・楽しく・美しく」