提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【41】

2016年08月12日

別れても別れても――ナナフシモドキ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 「うひゃあ、またまた登場かあ」
tanimoto41_1.jpg ご近所の手前、口にこそ出さなかったが、心の中では思わずそう叫んでいた。
 またも現れたのである、ナナフシモドキが。
 かつてはあこがれの虫のひとつだった。ぼくがそんなふうに思う虫は、それほど多くない。なにしろ、行き当たりばったり、目の前に現れたものと付き合おうというのが基本的な姿勢だから、わざわざ追い求めることはまずない。
右 :生まれて初めて出会ったのは、生まれたばかりのこんなナナフシモドキのお嬢ちゃんだった


 といいながら、ナナフシモドキは例外だ。長い長い待ち時間というのか長い年月を経て初対面を果たした虫だから、思い出深いことは否定しない。初めて見つけたとき、それはそれはうれしかった。まさに涙を流さんばかりに喜んだものである。
 30年もの間、じーっと待ち続けたのだ。そのことは幾度もひとに話し、文章にもした。しかし、それほど待たされたのがうそのようで、目が慣れれば、なんということもない平凡な虫である。自宅のすぐ前の雑木林で、苦労せずとも目にできる。
 そして興味深いデザインの卵をいくつも産ませ、ふ化させ、さらに2代目を得ることもできた。うれしいことにトビナナフシやトゲナナフシ、エダナナフシ、オキナワナナフシ、タイワントビナナフシなどというナナフシ仲間まで目にし、育て、卵を採った。そんなこんなで、ひととおりの満足感は得られたのだった。


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左 :はね自慢のトビナナフシ......だと思うのだが、たいていははねを広げる前に手の中にいる。ゴメンネ
右 :とげとげのトゲナナフシ。この方は、あしが1本足りないね。再生するといいのだけど、もう若くはないみたい


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左 :オキナワナナフシ。野外で見ると、ドキッとするほど巨大に見える
右 :オキナワナナフシの卵。ナナフシの卵で最初に手にしたのは、ひとからもらったこのナナフシの卵だった


 そうなると不思議なことに、それから毎年のようにナナフシモドキに出会うことになり、気が向けば飼育していた。わが家の庭に現れ、玄関の明かりに寄り付き、なけなしの菜園に出現するのだから、虫だけに無視できない、というおやじギャグのひとつもとばしたくなる。そうはいっても、このごろは当たり前すぎる虫だと分かって、いまひとつリキが入らない。
 「あ、そこにいたのね。あ、そ」
 てな具合である。とくに春のうちはその年生まれの幼虫がやたらと目につき、まさに放し飼い状態でわが家にいる。気が向けばカメラを構えるが、もはやテキトーにシャッターを押すだけだ。


 ところが、である。ことしは出会う場面が多すぎる。マイカーを点検してもらっている間、暇つぶしを兼ねて自然ウオッチングに出かけた。自動車整備工場から10分も歩けば、川に設けられた遊歩道に着けるからだ。
 テントウムシを何種か見る。
 クズのつるで、俗称「パンダゾウムシ」のオジロアシナガゾウムシを撮る。
 あまり目にしたくない、マイマイガの幼虫に出くわす。
 「チョットコーイ!」と話しかけるようにして鳴くコジュケイの声をきく。


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左 :仲睦まじい「パンダゾウムシ」ことオジロアシナガゾウムシ。クズのつるで見ることが多い
右 :「オー・マイ・マイガッ!」と叫びたくなるようなマイマイガの幼虫。いかにも毛虫らしいもんね


 と、それらの出会いの合間の時間を埋めるようにして、ナナフシモドキの幼虫が視野に入ってくるのだった。
 それも、「おやまあ、どうしてそんなに目立っちゃうの?」とたずねたいほどの出現頻度である。まさか、かつてのぼくのラブコールが数十年を経てようやくナナフシの国に届き、親切なナナちゃんがあいさつに来てくれた......なんて、おやじには似合わないメルヘンチックなことも想像してしまう、などということはさすがにないのだが。


tanimoto41_3.jpg 1匹目は写真だけ撮って、スルー。
 2匹目も、またいたのかと記念撮影して、バイバイ。
 3匹目になるとさすがに縁を感じて、いつも持ち歩いている容器にお入りいただいた。当然、しばらくはわが家に逗留してもらうことになる。

 そうかと思うと出張先で、コンビニのおにぎりを手にして野外昼食をとっているとき、ふと目にした木の枝に動くものを感じた。視力はどんどん低下しているし、近いものが見にくくなった。なのに、虫の気配を感じ取る力だけはかろうじて保っているようである。
右 :わが家の庭で見つけたナナフシモドキの若者。毎年のように出会う種だ


 「おっ、目の端で何かが動いたぞ」
 と思った瞬間、わが目の焦点はぴたりとエダナナフシに合っていた。つるつるピカピカの球体に、なぜだか不釣り合いの丸いポッチを付けたような卵を産む。ナナフシモドキの卵もうれしいが、順位を付ければエダナナフシが上になる。これは文句なしにゲットである。


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左 :身近にいるナナフシの仲で最も好きなのはこれ。エダナナフシの卵だ
右 :触角の長いのがエダナナフシの第一の特徴だ


 そうやって何匹にもなったナナフシ一族がわが家の玄関で、タテ置きにした大きな水槽のなかで、のんびりと葉っぱをかじっている。しょうゆの小瓶にさしたクヌギやケヤキの枝が彼らのえさだ。
 ナナフシが飼いやすいのは、意外に多くの葉を食べてくれることだろう。「葉っぱならなんだって、いいぜ」とは言わないが、目を見れば分かるハズである。えさやりの頻度が少ないわりには元気に育ち、気がつくと卵を産み落としている。
 そうなのだ。ふんも木の枝にとまったまま落とし、それと同じように卵も落っことす。だからといってふんと卵が区別できないことはないのだが、ものぐさ飼育人にかかわると、ふんも卵も同じ容器におさめられる。まさに、みそもくそも一緒である。お恥ずかしい。


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左 :見つける方が悪いのか、見つかる方が鈍いのか......気がつくとナナフシの入った水槽がわが家に出現する
右 :ナナフシモドキの卵。ふんと同じように、木の枝にとまったまま産み落とす


 これだけで終われば、まあ、ナナフシもいて楽しい夏が過ごせたなあ、といった思い出に終わるのだが、ことしはまたまた、小さな事件が起きた。なんとまあ、これは初めてのことなのだが、わが家にトビナナフシがわざわざやってきてくれたのである。


 「うひゃひゃ、トビナナフシだ!」
tanimoto41_14.jpg このひとことに、家人も大興奮。まよわず、タテ置き御殿にお招きした。
 その稀有な出来事が、次の日にも起きた。しかし気づいたときには、カブトエビを飼っている水槽に沈んでいたのである。
 人間世界のことなら、「すわ、一大事! まさかの自殺か......」などという見出しの踊る新聞記事にでもなりそうだが、虫の世界のことなので、誰も騒がない。ぼくも、かわいそうにと思って家人に水から出すように指示して、仕事に出かけた。

 そしたらなんと、死んだと思ったトビナナフシが黄泉の国からよみがえったのである。
 これまたびっくりの珍現象だ。人間とちがって虫は、気門を通じて息をする。学校でそんなことを習った。
 だから頭を水に入れたままにしても、お星さまになることはない。しかし、体全体を沈めたら、オダブツはまぬがれない。
 このトビナナフシが水に浸かっていた時間が短かったのか、ほかの要因があったのか、ほんとのところはわからない。それでも死んだと思っていたものが生きていたのであるから、赤飯ものであろう。
右 :トビナナフシの目にはどこか独特の雰囲気が漂う


 この一連のナナフシたちとの遭遇を通じて学んだのは、ご縁のあるものにはいつか会えるということだ。別れても別れても、またどこかで会うことができる。
 「そういえば、もう何年ぶりかねえ」
 などと声をかけたいところだが、冷静に考えると、知り合いのわけがない。たいていは1年で死んでしまうから、同じ個体でないことは小学生だって知っている。
 かくして、昆虫学者もどきにさえなれないプチ生物研究家は、せめて愛するナナフシモドキの卵だけでもしっかり見ておこうと誓うのだった。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。