提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【30】

2015年09月11日

異界への旅立ち――セミ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


「ツクツクボウシが鳴きだしたら、秋は近いよ」
 子どものころ、そういわれていた。その刷り込みがよほど強烈だったせいか、「ツクツクボーシ!」とせかすように鳴くヒグラシの声を耳にすると、パブロフの犬のごとく反応し、夏休みの宿題をバタバタと仕上げるが常だった。もっとも当時は、「オーシンツクツク」と聞きなすのが正統派の耳だと思っていた。

 窓の外ではいま、ツクツクボウシと競うようにして、アブラゼミやミンミンゼミが鳴いている。だからツクツクボウシがいくら騒いでも、素直に秋近しとは思えない。それどころか、ツクツクボウシの早出組はずっと前からわが家にその音楽を届けている。
 「これでは、夏と秋の結び目がよく分からんなあ」
 ブツブツつぶやきなら、ここは先人にならって秋の彼岸を待つことにしようと決めた。


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左 :「法師ゼミ」とも呼ばれるツクツクボウシ。秋の季語になっている
右 :鳴き声がよく通るミンミンゼミ


 その晩。夜の公園に出かけた。これだけ何種類もセミの声が聞こえるのだから、もしかしたらセミの羽化も、まだ見られるのではないかと思ったからである。
 そしてそれは正しかった。懐中電灯の明かりを頼りに探すと、アブラゼミの幼虫が2匹、簡単に見つかった。 おそらく10年ぶりの幼虫との出会いだ。

「ラッキー!」
そう叫ばずして、なんの虫好きか。
 と思ったが、なにしろ夜の公園だ。声を出すのは、さすがにはばかられる。
 心の中で快哉を叫び、幼虫たちをわが家にお招きすることにした。
 以前はたびたび、羽化を見た。ヤブ蚊がうじゃうじゃいる神社が主な採集場所だったが、そこに行けば、なにかしら収穫があったものだ。穴から出て幹にへばりつく幼虫がよく見つかった。


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左 :セミの幼虫が這い出してきた穴
右 :抜け殻が穴から出てくることもある、なんていうのは冗談。ヤラセです


 それにしても、うれしい。この晩の招待客2匹は、いずれ何かに使おうと保存してあったシラカンバの枯れ木にとまらせた。久しぶりなので、家族そろって観察する。
 午後10時半を過ぎたころ、1匹の背中が、わずかに盛り上がったように思えた。
 「始まるぞ」
 あ、というだれかの小さな声とともに、みんなでその背中に熱い視線を注ぐ。裂け目が広がり、窮屈な入れ物の中に詰め込まれていた宝物が少しずつ姿をあらわし始めた。


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久々に見たアブラゼミの羽化シーン。セミ自身もさぞかし待ち望んだ瞬間にちがいない


 それから何度かごくりと生つばをのみ込み、翡翠(ひすい)のような新成虫の誕生を見守った。
 これを見て心を動かさない人がいたら、お目にかかりたい。実に感動的だ。初めて見たときには蛍石のような色合いに心を奪われたが、今回もまったく同じだった。
 目の前にいるのはアブラゼミである。時間がくれば、その他大勢のアブラゼミがそうであるように、茶色の地味なはね色になる。それなのに羽化してしばらくは、だれを楽しませるためなのか、天女の羽衣もかくやと思わせる美しい装いを披露する。


tanimoto30_4.jpg 「いいなあ、いいよなあ」
 家族の手前、口にこそ出さなかったが、気持ちはすっかり、少年時代に戻っていた。

 「蝉の衣(きぬ)」とか「蝉紗(せんしゃ)」という古語がある。透き通ったセミのはねのような美しい衣を意味することばだ。アブラゼミは羽化後にそれを捨てたように思えてならないが、いっそのこと潔さを感じる。もしかしたら、桜を愛する日本人の気質に通じるものがあるのかもしれない。

 ――などということはふだん意識しないのだが、これほどまでに大きく色変わりするアブラゼミの羽化シーンを見ているとつい、感傷的になる。中国でセミは美人の生まれ変わりだというらしいが、それももっともな話である。
右 :羽化を終えたアブラゼミ。はねが伸び、色が変わるのを待っている


 セミを好んで彫ったのは、彫刻家の高村光太郎だった。『道程』『智恵子抄』の作品で知られる詩人でもあった光太郎は、バッタやコオロギ、カマキリ、トンボは彫刻にふさわしくないと説き、無理して作るとおもちゃに近いものになるとまで言い切った。その点セミは、その形態の中に彫刻的な要素を備えていると高く評価している。

 なるほど。成虫のフォルムには頑とした主張が感じられる。「空蝉」と呼びならわしてきた抜け殻もまた、ひとの心をとらえて離さない。そのせいか、セミの抜け殻を見つけると知らず知らずのうちに手が伸びる。
 何度も何個もすでに回収済みだというのに、見るたびに欲しくなるのは、われながら不思議だ。ニイニイゼミの泥まみれになったものはとくに、賞賛に値する。何年にもわたる危険だらけの土中生活を生き抜くのは、並大抵のことではないからである。あのちっぽけな体でよくまあ、困難の旅を乗り切るものだ。


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左 :小柄で泥をかぶった抜け殻は、ニイニイゼミのもの
右 :中央部がでべそみたいなら、クマゼミの抜け殻だ


 思えばこの夏は、セミ運に恵まれた。セミだけにちょっぴり、というオヤジギャグ的な意味合いも含む。散歩の途中で見つけたアブラゼミの雄は雌に猛烈なアタックを試みたが、彼が近づくと彼女は遠ざかり、それでもしつこくにじり寄ると、無声のまま、ジリジリと位置をずらした。もっとも、雌だからジージーと鳴くことはないのであるが......。
 「この恋は、成就しないだろうな」
 直感は正しく、ついにはプイッという感じでその場から飛び立った。雄はようやく諦めたのか、追いかけることもしなかった。実らない求愛行動が見られたのは、ぼくにとって収穫だった。


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左 :わが家の自転車で脱皮したアブラゼミもいる。飛ばずにサイクリングするのかな?
右 :セミの抜け殻も、一か所にこれだけあると圧倒される


 涼を求めて出かけた長野県では、W字模様がシンボルのエゾゼミを見つけた。
 エゾゼミというから北海道の特産であるかのような印象を持つ人もいるようだが、現実には南方系のセミだという。しかも南方系の代表ともいえるクマゼミに近縁の種だというから驚きだ。よく似たコエゾゼミこそ北海道にふさわしく、純粋な北方系だとされている。


 個人的な欠陥かもしれないが、透き通ったはねを持つ昆虫はどうも苦手だ。造形物としては心ひかれるのだが、トンボもハチもアブも、知識が追いつかない。油紙の色をしたアブラゼミはともかく、そのほかのセミとなると識別すら心もとない。
 分布域から推し量るとエゾゼミに間違いないようだが、はたしてそうなのか。

 念のためコエゾゼミとの違いを調べてみたら、意外に分かりやすい特徴があった。Wの文字は両種に見られるが、その上の〝首輪〟とでもいいたくなるラインの端っこが途切れていたらコエゾゼミであるという。見つけたセミはどうやら、エゾゼミで正解のようだった。


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左 :エゾゼミの〝首輪〟はきれいなラインを見せている
右 :コエゾゼミは、W字の上のラインが切れている


 となると、試してみたいことがある。エゾゼミは下向きにとまることが多く、大きな音を聞かせると、空ではなく地面に突っ込んでいくというのだ。夜中に玄関の明かりをめざして飛んできたセミが地面にひっくり返っている場面にはよく出くわすが、はねを持つ虫が自ら墜落するとは愉快な話ではないか。

 しからば、さっそく。
 ところがなんと、このセミは草にとまっていた。天も地も、あったものではない。
 さればと、こんどは捕獲に切り替え、手づかみにする。
 ギーーーーー!
 脅かしているつもりなのか、驚くべき大きな鳴き声だ。こんなに騒ぐこともないだろうに......。
 それになにより、実験できなかったことが残念でならぬ。
 悔しい思いだけを持ち帰り、インターネットでざっくりと検索してみたが、下向きにとまっている写真は多くなかった。下向き落っこち説を唱えたひとはスゴい! そして強い運に恵まれないとヘボ実験すらできないことを思い知った。
 つくづく惜しい。

 ツクツクボウシの話で始まり、こんな風にレベルの低いダジャレ的な終わり方をするのも......まあ、いいことにしよう。セミならぬプチ生物研究家としては、このあたりが分相応というものである。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。