提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【29】

2015年08月12日

眼力では負け知らず――トンボ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 岐阜県内を走る名鉄各務原線に、田神という駅がある。その駅に降りたのは30年以上も前のことなので記憶が薄らいでいるが、駅名の表示板を見ながら、田んぼの神さまと何かつながりがある駅なのかなあと思ったものである。田んぼの神さま、つまり「田の神」は地域によっては赤トンボの異称でもあるからだ。


tanimoto29_1.jpg 古くは秋津洲(秋津島、蜻蛉洲)と呼ばれた大和の国を代表する虫が「あきつ」すなわちトンボであり、いにしえの人々は稲の生育を妨げるウンカ、ヨコバイなどを捕食してくれる益虫であることをよく理解していたと思われる。

 その証拠にトンボは銅鐸に描かれ、いくさに臨む兵士が「勝ち虫」としてあがめた。勝利に導いてくれる力を与える虫と信じて兜のデザインにも採用したのである。
左 :「赤トンボ」は赤っぽいトンボの総称だ。これは代表的なアキアカネ


 赤トンボの頭部を正面から見ると、なるほどたくましい面構えだ。最近は意思や精神力の強さを目から感じるという意味で「目力」という言葉を使う若者がふえてきたが、慣れ親しんだ言い方をすれば眼力だろう。トンボはその眼力の強さで他の虫を圧倒する。


 なにしろ、あの複眼だ。1万~3万といわれる個眼が集まり、あのギョロメをつくっている。目玉の上半分で遠くを見通し、下半分で近くを見るのだとか。だから遠目がきくし、近くの獲物もしっかり見える。

tanimoto29_2.jpg 「なーんだ、遠近両用メガネみたいなものか」
 とぼくは納得し、一度は使うことも検討しながら、店の人にこう言われたことまで思い出した。
 「お客さんは、目の動かし方がいまひとつ......」

 なんのことはない。トンボが当たり前にしていることなのに、高等動物であるはずのぼくの方がヘタクソだというのである。それではせっかくのメガネが宝の持ち腐れになるというのだから、まあ、親切なアドバイスと受け止め、いまも遠近両用メガネは持っていない。

 しかし、悔しい。そう思ってトンボの目玉をにらみつけたら、笑いたくなるようなおかしな顔が浮かんでいた。
右 :目玉の前に見える「顔」は多彩で、面白い。この場合は怒り顔の武者、かな?


tanimoto29_3.jpg ところで、「赤トンボ」が赤っぽいトンボの総称だということはよく知られている。アキアカネだけを指すこともあるようだが、たいていはナツアカネやノシメトンボ、ショウジョウトンボ、ウスバキトンボなどを含めてゆるやかに「赤トンボ」と呼んでいる。俳句などでは「赤卒」という表記も目にするが、一般には使わない。
 などと知ったかぶりをしているが、恥ずかしいことに、トンボの種名はいまもよく分からない。だからどうしても特色のあるトンボに目が向く。
左 :ほんとうはこれが赤トンボの代表種? だれが見ても赤いという、ショウジョウトンボ


 たとえば、シオカラトンボだ。子どものころから親しんできた、おなじみさんである。「塩辛トンボ」と書く人もいるが、イカの塩辛とは関係がない。あの白っぽい体を、塩に見立てたものだ。そしてその夫人が「麦わらトンボ」であることもよく知られている。
 ――と長いこと信じてきたのだが、念のため調べてみたら、おあまあなんと、オスでも若いうちは黄色っぽく見えることがあるという。なので、「〝麦わらトンボ〟というのは、麦わらの色をしたシオカラトンボのメスですよー」とは言い切れないと知った。これだからトンボはムズカシイのである。


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左 :これは「麦わらトンボ」。――と信じているのだが、シオカラトンボのオスも若いうちは黄色っぽい
右 :シオカラトンボのオス。稲穂にとまるなら、アカネ類の方がよかったかも


 気を取り直して、この季節の田んぼで見かけたトンボの話にしよう。
 チョウトンボだ。いつもは沼でしかお目にかかったことがない個性派が数匹、稲の上を舞っていた。カラスの濡れ羽色にも似て、野外で見るとなかなかに美しい。チョウの名を持つように、その飛び方も優雅である。


 せっかくだから少しはマシな写真を載せようと思ったのだが、はねの破損した個体しか撮れていない。ああ見えてチョウトンボは気性が激しいらしい。よそ者が近くづくと追い回すことが多く、それで、はねも傷つきやすい。
 こんな説明文をいくつも見つけたが、追いかけっこをするだけではねが破れるのだろうか? こんどいつ会えるのか分からないが、注意してみよう。
 腰のあたりが空白になったようなコシアキトンボも素人には分かりやすい。


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左 :チョウトンボは、はねの傷ついたものが多いように見受けられるが......
右 :腰のあたりが白く抜けたコシアキトンボ。これは素人にも識別しやすい


 ところが、うっかり者のぼくは初めて見たとき、カメラのファインダーをのぞきながら、むむむ、とうなった。はねならぬ体の一部が欠けているのに飛ぶことができるなんて、なんと根性のあるヤツだと。それはまさに早とちりなのだが、意表をつく意匠だと敬意を払っている。
 イトトンボの仲間にも、いい味を出しているものはいる。
 ことしはすでに何度も見たキイトトンボも、そのひとつだ。クモの網に引っ掛かったものもいて、ちょっと気の毒になった。


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左 :クモの網にかかったキイトトンボ2匹。ちょっとした不注意が身の破滅を招く
右 :ハート形をつくるアジアイトトンボ


 だがそれも一瞬で、すぐ後には網の主であるナガコガネグモの立場になって、「よかったなあ、きょうは大漁で」などと心の中で話しかけているのだから、ニンゲンなんて身勝手な生きものである。

 小兵ながら、キイトトンボはハッとする明るさをアピールする。仲睦まじくハート形をつくっているイトトンボもいいが、単独でも十分すぎるほどの存在を感じさせるイトトンボはそう多くない。


 この時期は昆虫の展示会がよく開かれる。せっかくだからと出かけてみたら、ヤゴが数匹入った容器が置いてあった。形のちがいから数種いることは分かるが、種名はもちろん、ちんぷんかんぷんである。それでもヤゴを見ると、なぜか童心にかえるから不思議である。


tanimoto29_7.jpg 子どものころには田んぼに出かけて、何匹もとってきた。そしてアカムシやオタマジャクシ、メダカなどを与え、あごをどうやって繰り出すのかながめるのだった。よく知られるように、ヤゴのあごは折り畳み式になっていて、ここぞというタイミングで電光石火のごとく延ばすのである。音こそ聞こえないが、シャキーンという幻聴を子どもたちは共有していた。
左 :ヤゴのいろいろ。種名はぼくには分からない


 「久しぶりにヤゴを捕まえにいくかな」
 なんてのんびり考えながら、庭で飼うメダカの水槽の水を取り替えていた。えさが残ると水がにごり、酸素不足も招く。手を抜いたばかりに、暑い日に何度も失敗している。俗に「グリーン・ウオーター」と呼ばれる緑色の水がいいのだが、置き場所を誤ると、大変なことになる。それでせっせと、ではないが、できる限り水替えに精をだす。

 と、いくつかある水槽の底に、ヤゴが2匹いるのを見つけた。そういえばトンボが飛んでいたなあ、と思い出した。もしかしたら大事なメダカちゃんが被害に遭ったかもしれないのだが、水槽ごとに何匹いるかなんて数えたことがないから、1匹2匹消えたとしても気がつかない。

tanimoto29_8.jpg それよりもそこには、さっさとヤゴの目モードに切り替えた自分がいた。ヤゴがいた。それだけで心はもはや、「ラッキー!」なのである。ちょっとだけ問題があるとしたら、いつもは汚れた水槽の底にくねくねしているアカムシが1匹も見当たらないことだった。それはふだん、プラナリアのえさにしている。もしかしたらヤゴたちがさっさと、えさにしたのかもしれない。
右 :ヤゴはえさを捕るときだけ、隠し持つあごをさっと延ばす。まさに電光石火のごとく


 とにかく別の水槽に移そうとしたのだが、あいにく空きがない。
 ふと見ると、ホウネンエビの生き残りが泳ぐ水槽がひとつあった。
 ま、いいか、と同居させてしまったが、まだ小さなヤゴと巨大化したホウネンエビのどちらが強いのか、ぼくは知らない。
 いやはや、なんとも無責任な飼い主ではある。
 

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。