提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【28】

2015年07月10日

悲劇のスイマー――ゲンゴロウ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 梅雨明けが近づくと、にわかに水辺が恋しくなる。子どものころは海水浴に出かけたり川や池で魚とりに興じたりしたものだが、このごろはもっぱら、近所の田んぼが身近な水辺になった。家からすこし歩けば、どこかの田んぼにたどり着けるからである。


tanimoto28_1.jpg 問題は、その先だ。水がある、水稲が植わっているというだけの田んぼでは、生き物好きを満足させられない。カエルならヒキガエル、アカガエル、アマガエル、シュレーゲルアオガエル、ヌマガエル、ツチガエル......と、できるだけ多くの種がいてほしい。ヘイケボタルやタニシ、トンボもそうだ。ところがそうした田んぼは、全国的にどんどん減っている。
 「ぜいたく言いなさんな。世界には、ご飯の食べられん人がぎょうさんおるじゃろ」などと注意されても、困ってしまう。欧米では米よりも小麦でしょうが、と反論したい気持ちを抑え、水稲しか見られない田んぼより、数多くのいのちを育む田んぼでとれた米の方がいいと思いませんか、と突っ張ってみせるのがやっとである。
 ことしは出遅れて、カブトエビを見のがした。すでに中干し期に入っていたからだ。水がないと生きていけない生き物だが、それまでには産卵を終えている。
左 :早春にヒキガエルやアカガエルの「かわず合戦」が見られる田んぼなら、ゲンゴロウ類に出会う確率は高くなる


tanimoto28_4.jpg 代わりに見つけたのはタニシだった。それでも何もいないよりはずっといい。タニシだってずいぶん減っている。
 ぼくの友人は水生昆虫の図鑑をつくる準備をしていて、ゲンゴロウやアメンボをずっと追いかけている。素人目にはどれもこれも同じように見える小型ゲンゴロウでも、実際にはそれぞれに固有の名を持ち、自分たちに合う環境で暮らしている。それらを見分けるのは、ぼくからみたら神わざだ。
右 :ゲンゴロウは、自らの体に組み込まれた特殊な機構で酸素タンクを常に満たす


 ところでゲンゴロウというと、たいていは水をかくオールのような後ろあしを持つ仲間全体を指すことばとなる。キアゲハ、ジャコウアゲハ、モンキアゲハ、アオスジアゲハなどの総称として「アゲハチョウ」を用いるのと同様だ。正統派あるいは代表種としてのアゲハチョウは、その他と区別するために「ナミアゲハ」と呼んでいる。ナミは「並み」を意味する。

 ゲンゴロウもまったく同じだ。本来は、ゲンゴロウ類の中の「ゲンゴロウ」という特定の種だけに名乗る資格があるように思うのだが、現実にはグループ全体を指すことが多い。そこでこれまたナミアゲハにならって「ナミゲンゴロウ」、あるいは最大級のゲンゴロウであることから「オオゲンゴロウ」などと呼んで区別する。
 「カッパ虫かね。あんなもの、木の枝を束ねて沼に浮かべておけばいくらでもとれたものさね」
 そう話してくれたのは秋田県の古老だった。かれこれ20年前の話だが、それでも当時すでに70歳は過ぎていたお年寄りが過去形で話していた。彼らが若いころはカッパ虫、つまりナミゲンゴロウをおやつ代わりに食べていたというのである。


tanimoto28_3.jpg 「鍋にざーっと入れて塩ゆでにしてから、食べるんさ。あしやはねは、もいでな。エビみたいな味だったさ」
 古き良き時代の魅力的な食材を懐かしみ慈しむように、うっとりした表情で語るのが印象的だった。そうだろう。もう口にすることは難しいと思った瞬間から、価値は数段高まるものだ。
左 :ゲンゴロウの中のゲンコロウなのだが、区別するために「ナミゲンゴロウ」「オオゲンゴロウ」と呼ばれている。全国的に減少著しい希少種だ


 自然界から姿を消しつつあるのに呼応して、ゲンゴロウを展示する水族館がふえてきた。大型で見ばえのするナミゲンゴロウは一種のスターだ。まちがっても、「うまそうですなあ」と舌なめずりする客はいない。
 となると、自分の目で野生のナミゲンゴロウを探したくなるのだが、名前だけとなった「並み」ゲンゴロウに出会うのは容易でない。すでに多くの県で絶滅が心配されている。

tanimoto28_7.jpg タイコウチ、ミズカマキリも十分に魅力的な水生昆虫だが、名前の由来を思うとゲンゴロウほど親しみやすいものはない。ゲンゴロウブナもそうだが、漢字では「源五郎」と書くのが普通だろう。子どもが生まれた順番に一郎、二郎と名付けていた時代には、源五郎さんも数多くいたと思われる。その分かりやすい名前をもらった生き物は、わざわざ「並み」を付ける必要がなかった。
右 :タイコウチ。その名前は、太鼓を打つような動きをすることに由来する


 それがいまや、「並み」を見るために並々ならぬ努力を要する貴重種になっている。もしかして、こういうことを名前負けというのかと思い、すぐさま、いやいやと否定する自分を感じる。

 乾田化が進んだ田んぼでナミゲンゴロウを見つけることはできなくても、ため池なら期待は持てる。つまり農業あってのゲンゴロウ、稲作あってのゲンゴロウだという認識を持つべきなのだ。
 ――と思いながら田んぼをのぞき込むと、小型のゲンゴロウが見えた。コシマゲンゴロウ、ハイイロゲンゴロウなどだ。体格の良さで他を圧倒するナミゲンゴロウだが、模様の点ではこれら小型種にかなわない。ぼくはどうしても甲冑のデザインに目がいってしまうのだ。


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左 :コシマゲンゴロウ。この小型種なら、見る機会はうんと高まる
右 :体長2ミリほどの小さな種。名前はそのままのチビゲンゴロウだ


 それにしても気になることがある。体のつくりのせいだから仕方ないのだが、せかせかとオールを操るゲンゴロウを見ていると、どうしても尋ねたくなる。「あのお、どこかでパーティーでもあるのですか?」と。あそこまで懸命に、あしを動かすのだ。虫世界ならではの大事な催しがあるにちがいない。
 水生昆虫であるゲンゴロウ類は、水の中にいれば快適だ。
 そう思って水だけの水槽で飼っていると、とんでもないことが起きる。
 水カビだ。それを防ぐために陸が必要であり、飼育者はそのことを忘れてはならない。
 意外なことだが、ゲンゴロウたちが何を食べるのか知らない人も増えてきた。先日訪ねた水族館のゲンゴロウはカエルを食べていた。それは少し前まで生きていたのか、死んだものを与えたのか聞きそびれたが、彼らはすでに肉塊と化したカエルをえさにしていた。


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左 :飼育されていたシマゲンゴロウ。野外で見ることは少ない
右 :ヒメゲンゴロウの幼虫。ゲンゴロウ類の幼虫はおっかない姿をしている。「田んぼのサソリ」とは言い得て妙である


 ゲンゴロウは死肉も食べる。だから煮干しをやれば飼育も難しくない。
 幼虫には赤虫が便利だろう。サンショウウオやイモリを飼うときによく食べさせたが、釣りえさ用に売られているから、それを使えば手間がかからない。オタマジャクシもよく餌食になるそうだ。

 ぼくのようなズボラ飼育者ともなると、ちょっとした裏わざ(?)を使う。メダカの水槽を掃除せずにしばらく放置すると、どこからかユスリカが飛んできて、卵を産む。もっともズボラだから、その産卵シーンを実際に見たことはない。だが、まさか「虫がわく」ことはないだろうから、そう信じ念じていれば、ともかく赤虫が居着いてくれる。
 フレッシュで産地直送ともいえるその赤虫を時たま与えるだけで、わが家のプラナリアは3年も生きている。しかしそれで十分なわけがなく、分裂・再生を特技に持つ生き物なのに、いまだに1匹のままである。

 ゲンゴロウの幼虫に赤虫をやると、自慢のあごを突き刺して体液をチューッと吸い取る。その雰囲気は、ウスバカゲロウの幼虫「アリジゴク」にそっくりだ。これがもっと巨大な生き物だったら、人食いザメのジョーズですら真っ青だろう。
 小さいながらどう猛であることは確かであり、ゲンゴロウの幼虫は先人から、「田んぼのサソリ」の異称をたまわっている。


tanimoto28_8.jpg タイコウチもミズカマキリもほとんど見かけない。すっかり少なくなってから絶滅危惧種です、貴重な環境を守りましょう、などとアピールするのはどこかおかしい。看板を立てておしまい、という保護地なんてざらである。
右 :これは、ミズカマキリ。そう聞けば、たいていの人は納得する


 これからの時代に必要なのは、こうした水生昆虫ブラザーズだかシスターズだかをもっと世間に知らしめることだ。太鼓どんどんのイメージから命名された虫ですよ、水の中にも細身のカマキリがいますよと宣伝し、ゲンゴロウ類とともに田んぼの「水虫」観察会を開くのだ。夜に見るホタルの舞も捨てがたいが、昼間の観察会なら安全度はうんと高まる。どこぞの田んぼでやらんかねえ。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。