提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


きょうも田畑でムシ話【19】

2014年10月09日

伝説の黒いチョウ――ジャコウアゲハ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 情報が現代のように飛び交うことがなかった時代、人々の想像力はさまざまなものを生み出した。妖怪、お化け、幽霊のたぐいはその代表であり、まさに脱帽するしかない傑作がいくつも存在する。世に言う「お菊虫」など、拍手喝采ものである。

 「お菊さん、知ってるよなあ」
 「番町皿屋敷の物語に出てくる幽霊か?」

 問いかけてすぐに答えが返ってくれば、しめたものだ。そのあとの流れは、毎回ほとんど同じである。


 「そうそう。井戸から現れたお菊さんが、お皿を1枚、2枚......と数えるって話さ」
 「悲しいよな。男の気持ちを確かめるために、お菊さんはわざと、家宝の皿を割ったそうじゃないか」
 「そのお菊さんにそっくりの虫が、墓場によく出るんだ」
 「気色ワル~!」

 たいていはこのあたりで「もういいよ」と言われて、ジ・エンドとなる。それはそうだ。幽霊がそんなに好きなら、お化け屋敷にでも行けばいい。


tanimoto19_1.jpg この奇妙な虫はジャコウアゲハという黒いチョウのさなぎの俗称であり、後ろ手にしばられたお菊さんにそっくりなのだ。お菊さん本人に会ったことはないし会いたくもないが、髪の毛みたいに束になった黒い糸までくっついていたりすると、伝説世界に呼び戻されてしまう。

 顔はと見れば、紅をさしたような口、つぶらな瞳もちゃんとある。からだを斜めにしているところなど、演出がすぎるようだ。
左 :後ろ手にしばられたお菊さんにそっくりと言われるジャコウアゲハのさなぎ。お菊さんに見える? それとも浄元?


 ところが、こう言う人もいる。
 「なに言うてんねん。このさなぎは、〝浄元虫〟言うんでっせ」

tanimoto19_6.jpg お菊虫派に比べると少数だが、悪行の限りを尽くして出家した浄元、あるいは常元という坊主の霊が怪虫となって現れるのだという解釈もある。そう思ってジャコウアゲハのさなぎを見直すと、なるほど、女というよりは男のような風貌である。だから浄元派に改宗しようかと思うこともあるが、音の響きはだんぜん、「お菊虫」派である。

右 :独特の突起をいくつも持つジャコウアゲハの幼虫。身を守るための有毒物質をせっせとため込む


 このチョウがどうして墓地の周辺に多いかというと、食草であるウマノスズクサに関係がある。どちらかといえば日当たりの良い場所に生えることが多く、それがお菊虫伝説と結びついたようである。
 しかもこの植物には、アルカロイド系の毒がある。その毒を含む草をえさとして常食するのだから、薄気味悪いやつだと思われてもしかたがない。ジャコウアゲハの幼虫は、この毒性成分をとりこむことで自分の身を天敵である鳥から守るという。


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左 :薄暗いところで見ると、どうにも妖艶なジャコウアゲハの雌。幽霊ばなしにぴったりだ
右 :ジャコウアゲハの雄。雌に比べると、妖しさはいくらか薄い


 とはいえ、この毒ある幼虫を口にしたことがない鳥にとっては、ほかの芋虫と同じごちそうであるはずだ。「うまそうやんけ」と口に入れ、そこで初めて「ぐげげ......」となって吐き出す。その経験があればこそ、次に見つけたときに敬遠できるのだ。したがって、最初の1匹はやはり、天敵に食われてしまう。もしジャコウアゲハに生まれ変わったら、なんとかして最初の1匹にだけはならないように気をつけよう。


tanimoto19_9.jpg ジャコウアゲハの母親の愛情を感じるのは、卵の表面にもこの毒物質を塗りつけていると知ったときだ。
 無防備な時期という点では、卵が筆頭だろう。文字通り、手も足も出ない。それが分かっているからこそ、母チョウは毒のクリームを塗りたくり、わが子を守るのだ。毒を盛って人をあやめる毒女に聞かせてやりたい愛情物語である。
右 :ジャコウアゲハの卵。この卵にも有毒クリームが塗られているという


 それにしても、ウマノスズクサのかなしさよ、とうたわずにはおられない。保身のための毒物質が芋虫どもに利用され、しかもそやつらはのうのうと暮らしている。自然界はうまくできているのか、いないのか。立場次第で大きく変わるようである。


tanimoto19_12.jpg 実はいま、わが家でジャコウアゲハの幼虫がその毒草をうまそうに食べている。久しぶりにお菊虫が拝みたくなりウマノスズクサを探したところ、運よく1匹見つかった。すでに終齢なので、しばらくすればさなぎになる、お菊虫になる、と喜んで、少しばかりの葉とともに持ち帰った。

 ところがである。あろうことか、その葉の1枚に卵が数個ついていた。さてどうしたものか、と思っていると、翌日には早々とふ化し、もぞもぞ動き出したのだ。
左 :ジャコウアゲハの幼虫の顔をアップすると......まるで、ひょうきん族のようだ

 うれしいやら、戸惑うやら。なぜなら、わが家にある鉢植えのウマノスズクサは2株。幼虫が養えるかどうか、ぎりぎりの量だと思えたからだ。
 ここでえさ不足になったら、毒クリームを塗った母チョウに申し訳ない。そう思ってかねてから目を付けていた場所へ向け、高速道路を走った。その甲斐あって、子虫たちはどうにか成長を続けている。


 あらためてお菊虫を観察すると、実にいい。カッコいいのである。このまま羽化することがなければ、どこぞの観光土産にできたやもしれぬ。現に、ニンギョウトビケラの幼虫がつづる巣は「石人形」「人形石」の名で、山口県岩国市の錦帯橋あたりの名産として古くから知られている。お菊さんや浄元の伝説とともに売り出せば必ずやヒット商品となるであろう。
 ――などと夢想するのは、ぼくのようなヒマ人だけであろうか。


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左 :ジャコウアゲハの幼虫を後ろから見たら、牛がいた!
右 :こんなにかわいいお菊虫なら、観光地で大ヒット間違いなし、とはいかないかなあ


 こうしてさんざんお菊虫を持ち上げておいて言うのもナンだが、最近出かけたチョウを飼う温室で、特別器量よしのお菊さんに出会ってしまった。見慣れたお菊虫に比べると赤みが強く、蛇腹のような体節の張り出し部分が大きく立派なのだった。


tanimoto19_10.jpg 「しめしめ、いい写真が撮れるぞ」と心のうちでほくそ笑み、何度かシャッターを押した。すると、そのチョウ温室のボランティアとおぼしき人が、こうのたもうたのだ。

 「そのベニモンアゲハのさなぎ、きれいでしょ」

 あわわ、なんと!
 あれだけ好きだ好きだと公言していたお菊虫さえ、見誤ったのである。そのさなぎのすぐ近くに生えていたウマノスズクサ科の植物には、ジャコウアゲハの幼虫にしか見えない幼虫が何匹もいた。ああ、それなのに......その幼虫たちもみんな、ベニモンアゲハだったのだ。

 だからぼくは、いつまでたってもプチ生物研究家なのである。
右 :ベニモンアゲハのさなぎ。異彩を放つことではジャコウアゲハと同じだが、これには特別なあだ名がない

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。